脱線事故やらなんやらで削がれてしまったやる気から、
来週の報告に向けて真剣に準備へと展開します。
まじで終わらん。

結局いろいろ調べまわったのですが、
天皇が死ぬとこんなにも揉めるわけですね。
あ、皇位継承のみではなく。
しかも突然死んでしまったわけですから、
言うまでもなし、というところです。

が、今回に限らず、とくに服装を巡ってですが、
喪服関係はいろいろと説があるようでして。
結局のところ、家の例、とか元も子もない結論に至って、
かなりイライラ。
そりゃそうじゃろうが!
その中身を調べてんじゃ!
みんな好き勝手でした、みたいな結論じゃだめなんじゃ!
とか、頭パンクしそうです。

こりゃ、明日群馬に帰ろうかと思ってたけど、無理そうだな…


まえばしこくさい大学で、研究史整理の報告をしました。
のぐち先生からの依頼で、これから卒論を書く人たちに
研究史整理はこうにやりました、というモデルケースを
お願いします。ということで、特に文字や時間の制限もなく
自由にお願いします。という感じでお願いされていたものです。

僕自身、もうすぐ修論を書くわけでして、
そこで研究史整理は必須ですので、修論の研究史整理の下書きみたいな形でまとめてみました。
内容は本気でまとめたので、かなり専門的になってしまったのですが、なんとかみなさんお話を聞いてくれました。
その後の質疑応答でも、いくつか質問がでましたし、
全体として、何かの参考になればなぁと思っているところです。

さて、今回研究史整理をしてみて幾つか気づいた点があります。
研究史整理とは即ち、自身の研究の独自性の証明です。
ゆえに、研究史整理は人それぞれであるはずです。
研究史上の位置付けは、大きく異ならないかもしれませんが、
同じ論文を読んだとしても、琴線に触れる部分は違うと思うんです。
だから、100人いれば、100通りの研究史整理があって然るべきなんです。

しかし、2007年に『室町・戦国期研究を読みなおす』という、研究史整理をたくさん集めた論文集が出ました。
そこでの研究史整理は、かなりの水準でして、とくに南北朝・室町時代の政治史に関しては、今後かならず参照されるであろうものでした。
その後、幾つかの研究者の著書が出たのですが、
2007年より前の研究史整理については放棄しているものが目につきました。

これらの状況から、あの研究史整理論文を踏まえ、
自分なりにもう一度研究史を見直す必要があると強く感じました。

ですので、今回の依頼は、僕にとってものすごい意味のあるものだったわけです。

いろいろと、やらなきゃいけないことがたくさん出てきました。
これからが踏ん張りどころです。


乱読会

2016年5月12日 学校・勉強


今日は、乱読会でした。
その前に、授業でドクターの先輩の研究史整理の報告を聞きましたが、
日本史と西洋史では、立場というか、思考の仕方というか
いろいろと違いがあるんだなぁ、ということを漠然と考えました。
それから、やはりフランス流の問いの学問としての歴史学は健在でした。

今回の乱読会は、岩波講座日本歴史の最終巻より、
マルクス主義と国民国家論が主要テーマです。
いろいろな議論をしましたが、世の中には天才がいるんだなということを改めて感じました。笑

とりあえず、戸辺論文を読んでの所感は、史学史的観点からの研究史整理の必要性を強く感じました。研究は世代や時代からの規定性を強く受けます。
その意味で、世代経験に注目して、研究史整理をする必要性を改めて感じました。

今西論文は、いろいろと難しかったのですが、解放装置としての国家が抑圧装置に転化しうる怖さを明確に感じました。
国家、国民という概念は、外から形作られるものです。
もう一度、ハンナアーレントをきちんと読みたいと思いました。

ゼミ

2016年5月11日 学校・勉強


今日は本郷ゼミです。
いまの報告者の次は、僕の順番なので、おちおちぼやっとしている場合ではありません。

さて、今回でもやっぱり剣璽渡御が問題となりました。
ここで、古代史専攻の二人からの質問が全くないことに謎を感じます。

家永ゼミの時に学びましたが、
どんなくだらないことでも、いろいろと発言してみる必要がありますね。
いや、古代史で僕が何か言うのは不可能でしたが。笑

ただ、剣璽渡御に関しては、古代以来の皇位継承儀礼の系譜を引いています。
もう少し、活発化してくることを願います…


今日は鐘江ゼミと末柄ゼミです…
1日に2つのゼミの日はキツイ。

とりあえず、鐘江ゼミでは、まじで古代史の周辺情報を勉強しようと思いました。
それは、次の末柄ゼミでも同様です。

中世史ゼミは、戦国期の公家の日記をよんでいます。
これがまたややこしいんですね。

いやぁ困りました。
見るべき史料がこんなにあるとは…
戦国期の公家についても、もっと勉強しなければ。
ちょっと、今日はいろいろと疲れました。


14時から学校で研究会のため、午前中に東京に戻ることに。
このGWは、割と楽しめたんじゃないかと。
しかし、やることは山積しています。
とにかく、今は目の前にある授業の準備でしょうか。

さて、今年はいえなが先生がサバティカルということで、
授業の開講はありません。
しかし、研究報告会は例年通り開催するということで、
今日はその研究会でした。
例年通り、M1の卒論報告会です。
ま、自己紹介みたいなものですね。こんなことを卒論でやりました。修論ではこんなことを遣ろうと思ってます。的な。
今年は女の子が2人、M1として入ってきました。
しかし、そのうちの1人が昨日胃腸炎で倒れ、急遽入院という事態に。
大丈夫かしら。。。
ストレス性だったとしたら、新生活の変化に体が追い付かなかったのでしょうか。

さて、今日の子は戦国期の佐野をフィールドにしています。
戦国期佐野で活躍した天徳寺宝衍という人物について卒論を書いたようです。
従来は佐野での活躍を軸に、織豊政権期において信長・秀吉の使者として活動する様子を「出奔」とし、再び佐野に戻ってくる様子を描く研究が主だったようです。
織豊政権期における東国政策の重要な役割を与えられていたことから、従来の研究でも言及されることが多かったようです。
それについて、京都での人脈を活かして織豊政権に参画する姿を動態的に描き直したようで、そういった研究も従来はありましたが、その点をもっと前面に押し出していこう、というものでした。

京都と地域を行き来する、宝衍のような存在については、従来から注目されてきたところでありますが、
戦国期の研究者は、基本的に文書を発給する主体をメインの分析対象としますので、京都の日記史料はあまり本格的に読まれていないのが現状です。
しかしながら、室町前期よりもむしろ、室町後期~戦国期の公家社会における日記史料の残存情況は良く、公家の経済構造や文化などは多く説かれてきたところであります。
彼らの人的ネットワークが、地域社会において一定の求心力を有したことについては、最近研究が進んできた分野であります。
京都の文化サロンを通じて、現在で言えばハイカルチャーを身に付けたような存在が京都でも地域社会でも一定の影響力を有したことは、当時の公家社会の開く連歌会や蹴鞠会などが、単なる娯楽として愉しまれていたことを意味しません。

そのような文化活動を通じた一定の人脈形成が、当時の政権において有用な人物を「見つける」ための場として機能したことを意味するのではないでしょうか。
はっきりいって、戦国期における公家の活動を積極的に分析するのは近年の潮流になります。これからおもしろいことが分かってきそうで、楽しみですね。

本郷ゼミ

2016年4月27日 学校・勉強


去年に引き続き、本郷ゼミは出ることにしました。
先週はお休みだったので、一回空いてからの授業となります。
前半は講義形式でした。

末柄ゼミでは、日記の表側に書かれた本文と、その裏側にあたる紙背文書を読む演習なのですが、本郷ゼミの今日の講義は、その紙背文書と日記本文の関係についてでした。

最近の論文や著書でも取り上げられている、比較的新しい視点からの史料論となります。
日記本文と紙背文書を対応させて意図的に残している人も居るにはいますが、基本的には反故文書を使うので、双方から何かがわかる場合は少ないんですね。
たまに、対応することがあって、その場合は幸運なんです。

今日の本郷ゼミでは、兵範記の本文と紙背との関係でした。
結構面白かったですね。

後半から、くどうさんの報告でした。
ということは、くどうさん終わったらぼく。。。
準備始めないとですねぇ

ゼミ

2016年4月26日 学校・勉強


火曜日は、ゼミが2つ、しかも両方ともきついやつなので疲れます。

2限のやつは、日本古代史です。
本来取らなくてもよかったのですが、ボスの一言で、結局履修することに。
負担増えるから取りたくなかったんですけどね、取れと言われたらとるしかないでしょう。泣
こっちは、今日までM1の卒論報告でした。
これから数回同じ人の報告を聞くのか…
去年もそうでしたけどね。笑
いい加減おぼえますよ、はい。笑

さて、5限は日本中世史です。
こちらも、今日までは講義。とにかく今日の講義は面白かったです。
題材は仮名消息のなかの女房奉書。
古文書概説なんかでも、仮名消息は最後の方になってしまうので、なかなか概説的に扱ってもらえなかったので、とても勉強になりました。
特に、仮名消息のスペシャリストですから、こんな機会でもなければ聞くことのできない・見ることのできないことが盛りだくさんで楽しかったです。

連休挟んで、次からはどちらも報告へと移ります。
やれやれ、また大変になります…


今日は月1恒例の群馬中世史研究会です。
県立博物館は、リニューアルオープンの準備が佳境ということで、今日もやなせさんは欠席でした。
なんだか、すごい忙しいらしいです(; ̄ェ ̄)

でも、展示の諸々が決まってくれば、だんだんこっちにも顔出せるようになるんじゃないでしょうか。
とりあえず、今日も私が論文をまとめて、それの報告からです。
先月からこのような形式をとることにしました。
やなせさんがいないので、気持ちゆっくり目に進みます。

それから、野口ゼミでの卒論報告ですが、その前段階としてノグチせんせいにご相談に行きました。
せんせいの指導方針を聞いておかないと、勝手な報告はできません。。。
ということで、お伺いに行ったのですが、指導方針はふじもんとほぼ一緒。
というか、研究者志望の人は殆どおらず、学力的にも決して高いとは言えない両校ですから似通ってくるのは自然の摂理とでもいいましょうか。
とりあえず、そういうことらしいので、心置きなく発表して下さいとのお言葉を賜りました。
来月の14日となったので、準備を急ぎます。

乱読会

2016年4月23日 学校・勉強


今日はうちの大学で開催しているサブゼミに参加してきました。
体調が優れなかったら、すぐに群馬に帰ろうかと思っていたのですが、昨日のラーメンのおかげか、すこし元気を取り戻し(お腹は絶不調)、サブゼミに行ったわけです。

M1の子たちに広く宣伝したので、数人は来るだろうかと目論んでいたのですが、結局2人しか来ない。
それに加えて私とDが3人で、合計6人での開催となりました。
去年よりは人数は増えたのでまだマシですね。

ただ、議論となると、M1はどうしても入ってこれないですね。
実質4人で議論をしてました笑
それでも、盛り上がることには盛り上がります。
この乱読会は、日本史でも中世史のみではなく、また西洋史の先輩も来てくれるので、いろいろな話を聞くことができます。
お互いが持っている知識を共有し、自分の土台を固めていくような作業ですね。
楽しかったです。

なんだかんだで時間は過ぎ、群馬に帰りました。
途中で親父の誕生日が近いことに気付き、大宮駅で途中下車して誕生日プレゼントを購入。
今年は、すこし高めのワインを買いました。
普段あまりワインを飲まないので、せっかくの機会ですから飲んでもらおうかと。ワイン、嫌いなわけではないんですがね。
とっても喜んでいたので、よかったかと思います。
来年はなに買おうかなぁ〜

続・TA

2016年4月21日 学校・勉強


火曜日にTAの話し合いがあったのですが、
とてもじゃないくらい時間がなかったので、本日の昼休みに閲覧室に集まってもらいました。

学部1年生ということで、
辞書の使い方や書籍の検索方法、閲覧室にある資料の所在など、基本的なことをお教え致しました。

TAとは言っても、パンフレット作成について手取り足取り教えてあげるわけではありません。基本的には、自分たちで作ってもらうことになります。
学部1年生には、資料を自分で探し、それをまとめることで力をつけてもらおうというとこでしょうか。

高校生までの所謂調べ学習では、どんなことをやっていたか忘れてしまいましたが、
学問の調査対象として扱うことを身につけてほしいということでしょうか。
それでも、学部1年生にとっては高校までの調べ学習の延長線上としてしか捉えてもらえなそうですが…
結局は、ゼミが始まらないと方法として伝えることは難しいですね…

きちんとしたものが出てくるか、多少の不安はあります。

TA

2016年4月19日 学校・勉強


うちの学校では、学部1年生が研修旅行なるものに行きます。
基本的に全員参加らしく、今年はなんと群馬県に行くらしいのです。

ということで、わたし出身が群馬県ということもあり、研修旅行のTAを頼まれてしまいました。
多少の謝礼金が出るらしいとのことで、快諾したのですが、これが蓋を開けてみればかなり面倒なことらしく。
さっそく、今日が学部1年生との顔合わせでした。
TAの役割は、調査項目の補助ですが、右も左も分からない状態で入学してきた学部1年生相手に、調査の基本的スキルを伝えるのは至難の技です。
ただでさえ、ちゃんとルールを守らないやつもごまんといるのですから、学部1年生に伝わるかどうか。

初回の今日は、次回集合の日時を決めるので時間いっぱいでした。
木曜日の昼休みにもう一度集合し、いろいろと教えなければならないので、やはり頭痛の種ですね。
ここのところ、締め切り間近の書類やら何やらで慌ただしい毎日ですが、1日1日こなしていくしかないですね…




さて、たまには真面目なことも忘備録的に書いていきましょう。

本日は、福井ゼミの日でありました。
そこで、福井先生のお話の中で、研究対象には今日的意味がなければならない、との言葉を頂きました。
僕は、とりあえず学校の教諭になる、ということなので、ここで勉強したことは、伝わるかどうかは不安ですが、僕の受け持つ生徒に還元される(する)わけであります。
しかしながら、特に学校の教諭を目指しているわけでもなく、ただ漠然と研究をしている人は、ややもするとその行為は趣味になってしまいます。
それでよければ、まったく構いませんが、曲がりなりにも研究を志そうとするのであれば、ダメでしょう。

先ほど、僕の研究は還元されるはずだ、と述べましたが、それは大学院での勉強の過程でありまして、直接の研究対象が社会に還元されるとは限らないわけです。手っ取り早い方法は、論文化して公表するということになりましょう。
そして、公表する、ということは、少なくとも現在において追究されるべき問題であるという点を明らかにしなければなりません。
従来指摘されていないことを明らかにした、というのが、オーソドックスな強調点ですが、福井せんせいの言う「今日的意味」とはすこし違います。
先学で言われていないことを明らかにするのは、学界への寄与発展には役立ちますが、まず他の社会から大きな賛同は得られないでしょう。
その意味で、日本近現代史研究は大きな影響力を有すると言えましょうか。

前置きが長くなりましたが、僕の研究対象は、室町期武家儀礼でございます。ざっくり言えば、儀礼研究です。
儀礼を研究することの今日的意味とは何か。答えがあるわけではありませんが、僕の考える今日的意味について述べます。

僕たちの世代のショッキングな出来事として、東日本大震災が挙げられます。
そして、その後続くテレビなどの自粛ムード。
私の研究の出発点は、この自粛ムードにあります。
なんとなく、の雰囲気で東京をはじめとする関東圏・被災地を中心とする東北圏は自粛ムードを半ば強制されました。少なくとも、僕の住んでいた地域はそうでした。
私は学校という空間も嫌いでしたが、それは雰囲気の強制、という点に集約できるかと思います。とにかく、そうあるべきだという倫理観念(積極的根拠に欠ける)が先行し、なんとなくその雰囲気に包まれ、包まれなかったものを排除するという空間。
ここでは、雰囲気を受容した者たちによる集団間紐帯の強化とはみ出たものの強制的排除が同時に行われます。
つまり、ここで階層性が出現するわけです。そして、教師は無自覚か自覚的かは知りませんが、それを受け入れ、あろうことかその階層性を利用します。
東日本大震災の時も、似たような状況が生まれました。
福島県にボランティアに行く。お前は行かなかったのか。
僕ら世代が、就活の面接などで聞かれることの一つでもありました。

翻って、儀礼研究の主眼とするところは、文字列に現れた儀礼上の象徴的事象と、文字列に現れない非言語的象徴機能を素材とします。
つまり、その空間に擬似的に身を置くような感覚を身につけ、そこから読み取れるものを解釈してゆくのです。
基本的に、儀礼空間は権力者による影響を強く受けますので、そこから読み取れる権力者からのメッセージを読み取ることが、第一の主眼となります。
ついで、参加構成員からのメッセージも読み取る。
ここでは、当事者間では自明の事実となっている事象が、その儀礼空間や参加構成員に与える影響も考慮します。学的観点からの解釈行為となりましょう。

つまり、私の研究対象は、権力者からの意識的なメッセージ行為や、その空間からの非言語的メッセージに敏感である必要がある。

私たちがなんとなく暮らしているこの日本社会が本源的に生み出す矛盾や欺瞞に対して、敏感である必要があります。
これはどの研究者にも言えることですが、儀礼研究をしている人にとってはかなり重要な感覚となりましょうか。

そういった意味で、私たちが儀礼研究をする今日的意味は、政権や権力者から発せられるメッセージに対して、無自覚に反応することの危険性を知ること、だと考えています。

儀礼研究が喚起する問題点が、日本社会に生きる一市民として自覚的であることを再確認するきっかけとなるように。





去年に引き続き、本郷ゼミは履修することにしました。
履修登録上は、3つの授業を履修することになっておりますが、実質は聴講(モグリ)を含めまして5つの授業を取ることになります。

修論の年だと言うのに、月曜日しかフリーの日が無いという状況ですが、学校に毎日に近く行かなければならないので、まあ良いでしょう。

ところで、今日は中世史ゼミのゼミ幹引き継ぎでありました。
今年の新入生は、なんと女性10名、男性3名という(人数的には、という意味で)女子偏頗な構成でして、例に漏れず中世史の新入生2名も女性です。
くどうさん曰く、まだ彼女らは無色透明でありますので、とりあえずはちゃんとやってくれるものと信じております。事務的な面でも、研究的な面でも。

さて、どうなることやら…

末柄ゼミ

2016年4月12日 学校・勉強


さて、本日より本格的に授業が開始しました。
最後の最後まで、履修するか迷っていた鐘江ゼミは、とりあえず聴講という形での出席で顔を出しました。
単位が必要ではないため、先生が報告はしなくてもよいと仰ってくれましたので、肩をなでおろしたところでございます。
が。
ボスに会って相談したところ、単位数ギリギリは心配とのことらしく、結局鐘江ゼミは履修しなさいとの御内書が出ました。笑
来週からまでには、鐘江せんせいと相談しなければ…

それから、今日は中世史の末松ゼミでした。
色々ありましたが、実隆公記の紙背文書を読むことになりました。

やはり、ゼミが1日に二つもあると疲れますね…
帰ってからごはんを用意しようと思ったのですが、体動かず。ほか弁を購入しました。明日からはちゃんと節約しましょう。

山名駅

2016年3月1日 学校・勉強


昨日北海道から帰ってきた疲れも癒えないまま、今日は朝から群馬へ向かいます。
以前、女堀のレジュメを作ったのですが、おおさかし大の中世史ゼミがこっちへ来ておりまして。せっかく、レジュメを作ったのですから、ちょっとでも参加させていただこうと思い、行った次第です。笑

集合場所は山名駅だったのですが、実は上信電鉄に乗るのが初めてでありまして…
なかなか、いい揺れでした。笑

さて、ゼミに参会したのですが、さすがにドクターの報告でありまして、かなりの完成度。うわぁ、女堀恥ずかしすぎる…
なんというか、複雑な気分に襲われましたが、それでもとても勉強になったので行ってよかったです。笑

お昼頃にゼミが散会して、すぐにまた東京に戻りました。
かなりバタバタと移動して疲れましたね笑

地元に戻った時に、いろいろな仕事ができるように今のうちにたくさん勉強しておかなければ、と思いました。
今日は毎月恒例の看聞日記輪読会です。
ふと思ったのですが、この研究会、いつからやっているのかちょっとわからなくなってしまっていました。

とりあえず、ぼくが大学院に合格したことをお祝いしたので、おそくとも学部4年の9月より前からやっていたことになります。
正確な日付を記入していないので、どのくらい続いているのかわからなくなりました泣

しかし、幸いにもこの日記を書き始めた7月を見てみますと、この7月から研究会の名称が「群馬中世史研究会」となっている旨、確認できました(笑)
「群馬中世史研究会」とはいっても、輪読している史料はまさに「都」京都のはずれにある伏見に暮らす皇族の日記であります。
うん、これ群馬カンケーないですねw

まあいいんです。群馬県在住の有志が集まってやっているんですもの。
人数はぼく含めて4人と、ややこじんまりしておりますが、このくらいがちょうどいいですね。いつも、予習せずに臨んでいるので、詰まってばかりですが(笑)

次回こそは、ちゃんと予習してから臨もうと思いました泣


後輩たちのそつろん報告会でした。
今年は、うちの院に合格したやつがいるので、実質的には彼のそつろんを聞きに行ったわけです。

というより、うちは教育学部の「日本史研究室」なので、そもそも日本史の先生が一人しかいないという(研究を志すものにとっては)絶望的状況。ま、研究者志望のやつなんでめったに入ってこないから、基本的には不自由しないんですけどね。学生は。

たいへんなのは、先生の方です。
うちの学部時代の指導教授の専門は日本古代史における天皇即位儀礼についての史的転回過程の研究でございます。
そう、僕は日本中世史の室町時代政治史を専門としていたのでかけらも被らないわけです。
自分の専門以外の時代をやろうとしている人に「指導」するなんて、この世界じゃ恐ろしい事なんです。ええ、学校の勉強とは少し毛色が異なりますから。

とまあ、毎年毎年頭を抱えている先生なのですが、今年のゼミ生は、古代三人、中世二人という編成です。
中世の二人はともかくとして、古代が三人いて前よりは指導しやすかったんじゃないでしょうか、と思いきやそんなに甘くなかったようで。
そつろん報告会を聞いてて、せんせいの苦悩がありありと浮かんできました。いや、これ以上は。。。
とりあえず、滞りなく報告会は終了し、その後、懇親会と称するOB・OGから金をむさぼり取っての飲み会がスタートしました。
いや、社会人の人はいいですけどね、わたし、とりあえずまだ学生なんすよ、飲み会の単価まじ高くないっすか、という疑問を抱えつつ、まあ楽しく飲みました。
久しぶりにせんせいとも話せたので、よかったとします。

むろけん

2016年2月19日 学校・勉強


や、小炎上ってとこですかね。

予想通り、「文字おおすぎ」「論点おおい」のご指摘。
そりゃそうだ、(笑)
よく一時間でしゃべりきったと思いますよほんと、そこホメテ(嘘

しゃべっているうちに顔がめちゃくちゃ火照ってきました。
のみもの買わなかったから、余計に口も乾きますし。
実利的に、飲み物は必須ですね。めっちゃしゃべるわけだし。

基本的に、報告の持って行き方とか、概念の使い方とか、そのあたりで厳しい意見が集中しました。
とくに、I さんがめっちゃ食いついてくれたのはうれしかったです。
いや、かなり厳しいことも言われましたが、とりあえず反論もできましたし、議論にはなったんじゃないでしょうか。
専門が近い事もあって、I さんの発言が主だったのですが、木のしたさんが擁護に入ってくれたのは意外でした。
それなりに認めてもらえたのでしょうか。
どうでしょうか、、、

全体的な論理構成の部分で厳しい意見が集中したものの、個々の実証部分では否定的な意見は出ませんでした。
ということは、はじめにとおわりにの結び方、という極めてテクニカルな部分でいろいろなご助言を賜った、ということでしょうか。
これは、これからの経験の上で非常に貴重なものとなります。
今回の報告を踏まえて、立論過程の厳しい精査を自分でしていかなくては、と思いました。


それから、報告後の飲み会にて。
結構盛り上がりまして、久しぶりに池袋でベロベロになってしまいました。
タクシーを捕まえて帰ったのですが、正直あまりよく覚えてない。。。
無事に帰ってこれたのが何よりです。。。



今日は、今週末に控えております報告を、パイセンにチェックしてもらおうと
前々からお願いしておりました。
が。
終ってません。どういうことでしょう、
パイセン、ちょっと心配してました。

でも、ほぼ骨組みは出来上がっているので、あとはひたすらに打ち込んでいく作業です。
やっぱり、とういうか、いい加減直せよと言われそうですが、
レジュメ、長いんです。
現段階で既に1万字。レジュメで1万って、、、

いつもしゃべるのに精いっぱいで、説明まで手が回らないんだよなあ、とかおもいつつ、でも仕方ないから、このままで行きます。

とりあえず、パイセンから先行研究の取り扱いについてアドバイスを頂きました。
学外での研究報告は初めてなので、とても勉強になります。
やっぱり、ちゃんと伝わるようなレジュメの作り方、ほんとに大切なんだと。
ああ、ニガテニガテ。。。

ぼくの悪い癖として、まさに今読んでいる本に大きく影響を受けてしまうことがあります。
端的に言えば、「こんなこと知ってるんだぜ」という勉強してますアピールをしてしまうこと。レジュメ作ってる段階でうすうす気づいてはいたのですが、今さら直すわけにもいかず、後戻りできなくなりました。
そもそも、儀礼的実践、とか、儀礼装置、とか、
おもに文化人類学とか社会思想史とかで使われている概念をそのまま歴史学の分野で転用する際に、ちゃんとした説明がないと、概念が先走って何言ってるか伝わらなくなってしまうんですよね。

ブツブツ。。。

とりあえず、今回はこんな感じでいってしまいますが、次回以降は実証面にかなり重きを置くようなものにしなければ。。。という感じ。

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