さて、たまには真面目なことも忘備録的に書いていきましょう。

本日は、福井ゼミの日でありました。
そこで、福井先生のお話の中で、研究対象には今日的意味がなければならない、との言葉を頂きました。
僕は、とりあえず学校の教諭になる、ということなので、ここで勉強したことは、伝わるかどうかは不安ですが、僕の受け持つ生徒に還元される(する)わけであります。
しかしながら、特に学校の教諭を目指しているわけでもなく、ただ漠然と研究をしている人は、ややもするとその行為は趣味になってしまいます。
それでよければ、まったく構いませんが、曲がりなりにも研究を志そうとするのであれば、ダメでしょう。

先ほど、僕の研究は還元されるはずだ、と述べましたが、それは大学院での勉強の過程でありまして、直接の研究対象が社会に還元されるとは限らないわけです。手っ取り早い方法は、論文化して公表するということになりましょう。
そして、公表する、ということは、少なくとも現在において追究されるべき問題であるという点を明らかにしなければなりません。
従来指摘されていないことを明らかにした、というのが、オーソドックスな強調点ですが、福井せんせいの言う「今日的意味」とはすこし違います。
先学で言われていないことを明らかにするのは、学界への寄与発展には役立ちますが、まず他の社会から大きな賛同は得られないでしょう。
その意味で、日本近現代史研究は大きな影響力を有すると言えましょうか。

前置きが長くなりましたが、僕の研究対象は、室町期武家儀礼でございます。ざっくり言えば、儀礼研究です。
儀礼を研究することの今日的意味とは何か。答えがあるわけではありませんが、僕の考える今日的意味について述べます。

僕たちの世代のショッキングな出来事として、東日本大震災が挙げられます。
そして、その後続くテレビなどの自粛ムード。
私の研究の出発点は、この自粛ムードにあります。
なんとなく、の雰囲気で東京をはじめとする関東圏・被災地を中心とする東北圏は自粛ムードを半ば強制されました。少なくとも、僕の住んでいた地域はそうでした。
私は学校という空間も嫌いでしたが、それは雰囲気の強制、という点に集約できるかと思います。とにかく、そうあるべきだという倫理観念(積極的根拠に欠ける)が先行し、なんとなくその雰囲気に包まれ、包まれなかったものを排除するという空間。
ここでは、雰囲気を受容した者たちによる集団間紐帯の強化とはみ出たものの強制的排除が同時に行われます。
つまり、ここで階層性が出現するわけです。そして、教師は無自覚か自覚的かは知りませんが、それを受け入れ、あろうことかその階層性を利用します。
東日本大震災の時も、似たような状況が生まれました。
福島県にボランティアに行く。お前は行かなかったのか。
僕ら世代が、就活の面接などで聞かれることの一つでもありました。

翻って、儀礼研究の主眼とするところは、文字列に現れた儀礼上の象徴的事象と、文字列に現れない非言語的象徴機能を素材とします。
つまり、その空間に擬似的に身を置くような感覚を身につけ、そこから読み取れるものを解釈してゆくのです。
基本的に、儀礼空間は権力者による影響を強く受けますので、そこから読み取れる権力者からのメッセージを読み取ることが、第一の主眼となります。
ついで、参加構成員からのメッセージも読み取る。
ここでは、当事者間では自明の事実となっている事象が、その儀礼空間や参加構成員に与える影響も考慮します。学的観点からの解釈行為となりましょう。

つまり、私の研究対象は、権力者からの意識的なメッセージ行為や、その空間からの非言語的メッセージに敏感である必要がある。

私たちがなんとなく暮らしているこの日本社会が本源的に生み出す矛盾や欺瞞に対して、敏感である必要があります。
これはどの研究者にも言えることですが、儀礼研究をしている人にとってはかなり重要な感覚となりましょうか。

そういった意味で、私たちが儀礼研究をする今日的意味は、政権や権力者から発せられるメッセージに対して、無自覚に反応することの危険性を知ること、だと考えています。

儀礼研究が喚起する問題点が、日本社会に生きる一市民として自覚的であることを再確認するきっかけとなるように。



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