2015年という一年
2015年12月28日 日常この時期になると、FBやらツイッターやら、一年を振り返る記事を多く見かけます。
そんなに不特定多数の人々に見られたくない、とも思いつつ、しかしながら、一年を振り返っておきたい気もするという葛藤のなか、ここなら不特定多数に公開しているとはいえ、FBやツイッターほど多くの人目に触れることもないだろうという推測の下、書いてみることにしましたw
去年のいまごろは進路も決定し、うはうはな気持ちでだらけきっていたような気がします(笑)
まあ、卒論、できてませんでしたがねw
大学院に入院(笑)しなければ、みなと同じようにお仕事をしていたわけですが、まだまだモラトリアムを満喫したい僕としては、進路も決まったことだし、ゆっくりと研究の世界に肩までつかりたいと思い、学習院の門戸を叩いたわけです。
こんなはずではなかった。
大学院に入って、はじめに思った感想ですw
まず、自分の研究はすすまないw
授業の準備、学会の仕事、研究会への顔出し、等。とくに授業の準備・報告にもっていかれる時間の多さに驚愕しましたねw
おかげで、いろいろなことを知ることができるいい機会でしたが。
それから、学部時代に本格的な史料の読みや扱いの手ほどきを受けず、ほぼ独学でやってきた自分にとって、大学院のゼミは史料の読みや扱いを徹底的に鍛えられる、稀有な機会でした。
一年かけて、ようやく多少は史料が読めるようになった気がいたします。
研究の世界に足を突っ込んで、いろいろ思うところはありましたが、一番は漢文や書道の素養の必要性です。およそ日本の伝統文化理解の鍵は、ここに集約されているでしょう。伝統文化の重要性や郷土愛促進を謡う現政権の施策方針と、文系圧迫の姿勢には矛盾しか感じません。
二年後には、教壇に立っている予定なので、どうしたものかと考えているわけですが、教育に携わるのであれば、全力で頑張りたい、と思います。最終的には研究の道を歩もうかと目論んでいるわけですが、その目論みははなはだ不安定です(笑)
修士課程をすすみながら、高校の教壇に立つには学部卒程度の知識量ではとてもおそろしくておそろしくて、という感をますます強めました。
研究の世界では、日々刻々と従来の歴史像の再構築が進んでいます。
その成果が十分に反映されることなく、教科書も読み込めずに生徒の前に立ち、だれからも批判されることなく誤った歴史像が植え付けられていく。わかりやすい、の陥穽から抜け出せなくなってしまいます。
こういった困った現状を、どうにかしたいというのが最終目標になりましょうか。一生かかりますねw
ぼくだけでは無理だから、後発に託すのが一番いいんですがw
とりあえず2015年は総体的にいい一年でした。
来年もいい一年になるよう。
PS.
このいい一年になった最大の原動力はももです。いつもありがとう。
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