本日は、中世史ゼミでした。
さて、To君がどんな報告をしてくれるのやら。。。
あらら。
案の定、というか、史料を読んでいくときに思い込みが強いんですよね。前から思っていたのですが。
今回の箇所にでてくる「神殿」は「神嘉殿」ではないですよ。
そもそも、当該期に平安内裏や儀式書で想定される建築群はほとんどが失われているといってもいい。
儀式は空間がかなり重要な意味をもってくるのですが、
その空間自体が失われている当時、儀式の意味は大きく変容していると言ってもいいと思われます。
しかしながら、当代人の行動様式は儀式書を規範とし、それを理想としつつも、現実的な対応から臨機応変に儀式を開催しているのが実態にちかいと考えています。
あっちゃーーー。
ブーメランですね。(笑)
ぼくも史料を読むときは、方法論的無自覚で読んでいかなければならない、と改めて思いました。
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