第53回中世史サマーセミナー②
2015年8月25日 学校・勉強本日は、サマーセミナー2日目ということで、
二日酔いの重い足取りを引きずりながら(笑)、巡検のスタートです。
まず、バスで天王寺に移動しました。同寺では、通常は公開していない「経筒」(国指定重要文化財)を特別に拝観させていただきました。特別のご配慮に感謝致します。また、境内に板碑三基(それぞれに、嘉元2年〈1304〉・元亨4年〈1324〉・喜暦4年〈1329〉の銘あり)があり、それも見学させていただきました。
続いて、医王寺に移動し、同寺にある板碑を見学しました。同寺は、平安時代末、信夫庄司佐藤氏一族の菩提寺とされたことでも知られています。参道を進んで薬師堂まで行くと、佐藤基治夫妻をはじめ、子継信・忠信の碑などと伝えられる佐藤氏一族の板碑がまとまって安置されておりました。全部で64基あるそうです。有紀年銘板碑だけでも19基を数え、正和2年(1313)・弘長2年(1262)・建武2年(1335)などといいったものがありました。
福島県中通り地方に多く所在する成形板碑の形態は、(A)頭部を三角形に加工・二条線を施した上で全面を額状に造り出したものと、(B)頭部をドーム状に加工し全面を額状に造り出したものとに大きく分けられるそうです(三宅宗議「南奥の板碑 概要」『中世奥羽と板碑の世界』高志書院、2001年)。このうち(A)の形態については、遠く大分県国東半島に所在する板碑に類似する、という指摘に非常に興味を持ちました。天王寺境内の板碑については、頭部が欠けており、形態については不明でした。対して、医王寺の板碑は、(A)形態のものが多く確認できました。
続いて、保原歴史文化資料館に移動し、学芸員の方の解説つきの見学をさせていただきました。宮脇廃寺出土遺物、霊山寺棟礼、中世文書17点、旧亀岡家住宅それぞれを見学しました。なかでも、中世文書17点については、特別のご配慮を賜り、展示ケースから出していただいて、見学することができました。
続いて、福島県指定史跡の梁川城を見学しました。カギ型の土塁が立派に残っており、その上に登って写真を撮ったりと、中世史研究者の方々はやはり「登る」習性があるようです。(笑)このカギ型土塁のあった場所は、伊達氏時代の大手口であったと考えられているそうです。その後本丸跡に移動し、庭園「心字の池」も見学しました。
続いて、梁川八幡神社に移動し、見学をしました。本殿の方が、特別参拝できるということで、500円を支払い、参拝してまいりました。
続いて、福島県指定史跡の桑折(こおり)西山城を「攻め」ました(笑)
サマーセミナーと言えば「山城」ということですね。(笑)
室町期に機能したと言われている山城で、伊達氏時代から使用されていたようです。『塵芥集』に見える「西山の橋」と比定される橋を渡り、登城しました。大手門跡の右手側を登り、二の丸、本丸を「攻め」ました。その後、再び大手門跡前に戻り、左手を登って、西館、中館へ行きました。中館の部分に坂虎口があり、そこを登ると、なかなかの眺望でございました。
本日の巡検はここまででありました。
疲れた。そう、非常に疲れたんです。
宿に戻って、若干時間があったので、宿の近くにある飯坂温泉の公共浴場へと行った元気な方もいらっしゃいましたが、僕はひたすらに食事の時間まで寝ておりました(笑)まだまだです(笑)
その後は、昨日と同じく、懇親会(食事)があって、ビール講という二次会、そして各部屋で三次会というハードスケジュール。。。
明日は、文書見学なので、お酒はほどほどに、という柳原先生の忠告はどこへやら。。。(笑)
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