今日は一日家で論文を読み、史料をメモし、上京する、というおきまりの日曜日パタ―ンでした。
最近ふと思ったんですが、
僕自身がやっている研究は、いったい何の役にたつのだろう。ということ。
歴史学が言わんとするところは、いわゆる社会科学的な実験データ(即時的で再現可能なもの)とは異なり、時間が不可逆的である限りは再現不可能な過去の証明です。
すなわち、何が言いたいかといいますと、
歴史学の成果は全て「仮説」なのです。
現在の有力な研究は、有力な仮説に過ぎません。定説となっている現今の素晴らしい研究成果であっても、20年もすればそのほとんどは成り立たなくなってしまうでしょう。
歴史学、というと、あまり変化のない分野だと思われがちですが、実は現在社会のような秒を争う変化ではないにしても、バンバン変わっていくものなのです。それもそのはず、主に人間の過去を扱うわけですから、過ぎ去った過去の一部分の解明が済めば、連続して違う部分の解明が行われる。構造としての歴史は、その個々の成果の上に成り立つわけだから、個々の成果それぞれが新しくなれば、当然それらの積み重なりである、構造理解も変容せざるを得ないんです。
とまあ、訳の若わんことを並べ立てているわけですが、つまるところ、どうせ成り立たなくなってしまうだろう研究を何故一生懸命にやるんでしょか。
気持ちのスランプですね(笑) 手は動き続けてますが。
余計なこと考えないで、今はとにかく突き進むのが吉。そんなムズカシイことは後で考えなさい。一人前になってからね。
という小言が飛んできそうです。(笑)
眼前の目標はとにかく研究論文を出すことですかね。出せもしないのに、言い訳じみた事をいうのはちょっとナンセンスな気がしてきましたな(笑)
コメント